神戸の古着屋「ハバダッシェリー(haberdashery)のコラムです。
過去の日記から抜粋してみました。勝手な考えで勝手なことを書いてますが「こんな奴が居るんやな〜程度に読んでみてくださいね★

アメリカで想う事「20年!!」・・・2006年6月14日

僕は、古着屋になって今年でちょうど20年になりました。

20年か〜・・長かったようで一瞬でした・・が・・

その間「ハバダッシェリー」を作ったり阪神大震災があったり・・

細かい事をあわせると結構色々な事件がありました。

93年ハバダッシェリー開店。94年10月に2軒目「クララ」開店。

95年1月に大震災。2件とも潰れた〜!!同年4月ハバダ復活。同じく95年秋に京都

ミル開店。96年秋に広島「パレード」開店。(このお店の店長用に杉野氏を招きいれたの

です)98年「パレード」移転、「クローバー」に・・。同じく98年??ぐらいに高架下「ベルリ

ネッタ」開店。00年??ぐらいに「ベルリネッタ」閉店の代わり??に東京「keito」・・数年

前「keito」閉店・・−と忙しく過ごしてきました。

考えると最近の方が記憶が曖昧で「え〜いつベルリネッタつくったけ??」−って感じです。

スタッフも開店当時からは何度も入れ替わって今最長は杉野氏!10年!!

次は、今回一緒に仕入れに来ているポン店長!!8年目!!

古着屋のスタッフとしてはベテラン級の二人がシッカリ僕をサポートしてくれています。僕の体

感では古着屋に関わらずーかも知れないですが仕事も同じところで4〜5年続くとお互い

「阿吽」の呼吸で仕事が出来る感じです。

ハバダに関しては結構入れ替わりはユックリなので今居る葉子ちゃんが「ルーキー」なのにも

うハバダに来て2年以上が経っているのです。

今は「ハバダ」は開店以来最高の状態だと思っています。

古着屋は商品も大事ですが商品や活動を愛する気持ちが一番大事だと思っているので

すがその点ではほんまに今のスタッフは呆れるほど古着好きなのです。

ハバダッシェリーを開店して十数年・・

いい事も悪い事もあったけど毎日が大事で後悔しないように生きてきました。

損するかもしれなくっても「自分が一番選びたい道」を選んできたつもりです。

儲け話は山ほどありましたし周りからのアマ〜イ言葉もありました。

でも今まで一度も儲け話に乗ったこともありませんしアマ〜イ言葉に騙された事もありません

。これは、ひとえに「一番やりたい事」だけをやってきたからだと思っています。一番やりたい

事だから妥協が出来ないのです。睡眠不足すぎて朝起きても足が震えていう事きかなかっ

た事もありました。「あ〜・・これ以上すると死ぬかも??」と本気で思ったこともありました。

でも・・そんな時に「死ぬのなら一番したい事してきたんやから最後後悔しないようにこの仕

事を終わらせて帰ろう」なんて思っていました。ハバダッシェリーを9時まで営業、その後倉

庫に直行、朝方まで商品用意、朝帰宅1時間ほど寝て出勤、値段付けたりお店の用意

して開店・・そんな毎日を送ってきました。

でも・・・怖いほど楽しいのです。仕事がうまく行かなかったり体力的にハードすぎても考えら

れないですがハイになって楽しくなってくるのです。

キャラじゃないかも知れないですが「熱さ」だけは大事にしたいのです。

今は・・スタッフにも恵まれて(最近は少し痩せましたが・・)お腹プンプンな程、楽で順調な

日々が続いています。

ハバダッシェリー作る前体重72kg、ハバダ作って3ヵ月後57kg、それから数年50キロ台

、その後最高77kg・・・現在70kgぐらいです。

年齢的には厄年も越えてボツボツ人生のエンジン全開でもいいかな??−とも思ってきま

した。(遅すぎ??)

僕的にもハバダッシェリー的にも来年辺りが重要な年になるかな??−って感じです。

「チャンスは努力している人にしかやってこないし人生のうちで何回もやって来ないのにソ〜

っとやってきて気がつけばすぐに逃げてゆくからシッカリ掴まないと次はいつ来るか解らないし

来ないかもしれない・・」昔ある人に聞いた話です。

だから僕はいつも今僕の所にチャンスがやってきているつもりでいつでもこの手に「チャンス」を

掴める様に生きてゆきたいです。

なんかまたオチのないブログになってしまいましたが・・・

このへんで・・・


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